Museum::ShushiはFC2に移って一年あまりになりましたが、またMTにもどってきました。今度はCoreserverでの運用になります。大変申し訳ありませんが、以下の通りとなります。よろしくお願い致します。
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第二次大戦の主要参戦国出身者が集められた演奏。作曲者ブリテン会心の演奏だったとのこと。
演奏自体は遅いテンポで歌い上げていく感じ。ガリーナ・ヴィシュネフスカヤの美しい声。ディースカウの存在感際だつ声。
この曲を初めて聴いたのは中学生の頃。たしかハイティンク指揮の演奏で、カセットテープに録って何度も聞いた。そのうち、この曲の真の意味はともかくとして、この曲の持つ独特の美しさ、それはイングランド北部の荒涼とした高知地帯の中を敢然としてさまよう巡礼者になったかのような宗教的恍惚感のようなものを感じて、ああ、この曲さえあれば山奥に庵を結んで一人で暮らすのも悪くないなあ、と思ったことを覚えている。おそらくは無人島に持って行きたいCDの一枚になるだろう、と。
あれから数十年たってあらためてこの曲と向き合うと、あのころの思っていたことをいろいろと思い出すのであった。こんなはずじゃなかった、あんなはずじゃなかった、と。政治も(戦争も)そういうもので、あんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかった、という出来事が積み重なって開戦へと至るのである。一つ一つの偶然のつながりがいつしか必然となって厳然と立ちはだかるのである。
総指揮:ベンジャミン・ブリテン(作曲者)…イギリス
ガリーナ・ヴィシュネフスカヤ(ソプラノ)…ソ連
ピーター・ピアーズ(テノール)…イギリス
ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)…ドイツ
→欧州戦線主要国出身者が参加。作曲者の希望による。
管弦楽:ロンドン交響楽団
ラトルのドビュッシー。特に「海」なんだが、この演奏も凄かった。さすがはラトルとベルリンフィルのコンビ。トラック1の5分50秒近辺で、弦楽器の一糸乱れぬ動きが完璧なまでに海の情景を想起させるのには身震いするほど。ベルリンフィルも本当に上手くて脱帽である。
ラトルを戴くベルリンフィルはほとんど無敵に近いまでの美しさを身にまとうらしい。それが「海」の演奏でも最大限に発揮されている。この美しさはカラヤンのベルリンフィルとは違う。カラヤンのベルリンフィルの美しさが静の美しさであるとすれば、ラトルのそれは動の美しさであると思われるのである。というのも、カラヤンは総譜それ自体の美しさを表出させるが、ラトルは総譜を素材にしてそこから引き出すことのできる最大限の解釈を表出させるようにきこえるのである。それはアコーギグやデュナミークの豊かさから感じるのだと思うし、底流する確固たるグルーヴ感がそれを支えていると思うのである。いずれにせよ、ラトル盤の多くはきわめて魅力的であり、この「海」の演奏においてもその期待を裏切らない。
※ラトルに裏切られたことがないといえば、嘘になるのであって、最近とある盤では残念ながら期待に届かない演奏だったという経験もある。
というわけで、このCDは☆☆☆特薦ということにしたいと思う。
先日聴いたバーンスタインの一千人の交響曲。今度は同じメンバーが別の日にライブ録画した映像をDVDで観てみる。
映像を見て、認識を新たにしたのがソプラノのエッダ・モーザーのすばらしさ。高音域の美しさには本当に心を打たれる。それからヘルマン・プライの第二部での独唱も実にすばらしい。声質、声量ともになにも言うことはない。それから、CDではきわめて残念だったパイプオルガンの音量もこちらは十分で安心。
この録画、気がつくと1975年で、もう31年前の映像であることにあらためて驚く。そういう意味では、1975年の31年前といえば1944年でまだ戦時中だなあ、みたいな変な感興も起こってくる。バーンスタインも本当に元気で、指揮台の上で飛び跳ねていた。みんな若いわけである。
(ちなみに、エッダ・モーザーが歌う「魔笛」の音声が、ボイジャー1号、2号に積載されたレコードに収録されているらしい。)
ちまたで流行っている「ダ・ヴィンチ・コード」をようやく読むことができた。というのも、図書館で予約をしていたのだが、350番待ちという状態でなかなか入手することがかなわなかったのである。ところが、親戚から借りることができて、ようやく手に取ることができたというわけである。
こういう、隠された歴史を暴露していくという小説は、日本で言えば高橋克彦氏の一連の小説が有名だと思うのだが、それに負けず劣らず実に刺激的な小説。昨日読んだ「パリ左岸のピアノ工房」に続いてパリが舞台だった、ということもあって、実に自然に物語に入っていけて、また寝食を忘れて没頭してしまい、上中下三冊を今日一日で読み終わってしまう。ちなみに仕事はちゃんとやりましたよ。
ストーリーの展開が実に素早くのろのろしたところがない。あとで待ち受けるどんでん返しに面食らうのだが、それは物語を味わう快感であろう。
内容についてはあまり書かないのだが、最後のピラミッドの場面、ルーブルに昔行ったとき実際に見たことがあるような気がするのだが、記憶違いだろうか…。
また寝食を忘れてしまう本を見つけてしまう。一気に一日で読み終えてしまったほど。この本ほどピアノへの愛情に満ちた本はないのではないか、と思わせるノンフィクション。パリを舞台にした著者のピアノとの再会。ピアノの歴史、構造といった学術的な話から、ピアノとの忘れがたい思い出やピアノを介して出会う人々との対話と交流。そしてピアノを弾く喜びがちりばめられたまさにピアノ賛歌とでも言うべき本。この本を読んだ音楽愛好者であれば、誰しも自らのピアノとの出会いを思い出し、ピアノから離れたことを悔恨し、ピアノとの関係をもう一度持つことができたら、と思うであろう。ピアニストにとってもピアノとの付き合い方が新しくなるかもしれない。かくいう僕もピアノと向き合った子供の頃の苦くもあり懐かしい思い出に浸り、またピアノを始めたいというかなわぬ望みをいだくのであった。
またアバドのベートーヴェン全集を聴いてみる。演奏はベルリンフィル。
うーん、すばらしい。颯爽たる英雄。都会的で若々しい演奏。まるで青々とした草原で駿馬をかけさせているような気分になってくる。ベートーヴェンって、こんなにさわやかで良いんでしたっけ、と思ってしまう。クライバーとは違う若々しさがある。クライバーの若々しさが絢爛豪華であるとすれば、アバドのそれは青春の若々しさとでもいう感じ。そうだ、アバドのこの演奏の中には永遠の若さが宿っているといっても過言ではないだろう。
僕にとっての初のアバド体験は、プロコフィエフのピアノ協奏曲第三番を振った演奏で、あの若々しく覇気のある演奏に感動したものである。そんなアバドも気づいてみるともう73歳。若いと思っていたアバドももう70代か、と感慨深い。2000年に病気に倒れてしまい、それ以降のアバドの姿は往年のそれに比べると老けきってしまった感じなのだが、凄い演奏を聴かせてくれているのである。特にルツェルン祝祭管(マーラーチェンバーオーケストラ+ベルリンフィルの名手+その他ソリスト級有名人)とのマーラー「復活」は忘れがたい演奏。







